偏差値教育ノススメ

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今週号のFLASH EXに「あの人気ミュージシャン300人の恥偏差値全部バラす!」ちう特集があるよという記事を見たのでコンビニで立ち読み。 えー感想はというとマツケンや松浦ゴリエがミュージシャンか?とか早稲田政経中退に東大文学部卒が負けるのも微妙に納得いかねーとかあるんですが、まあそれよりなによりhさん大トリおめでとうございますといったところですか。 流石は天使様、羽根があるだけに鳥類の頭をお持ちでいらっしゃる(笑) ある意味おいしいポジションだ。 私小沢健二の人を小馬鹿にしたような態度とか、「僕頭いいですから」って臆さず言っちゃうようなエリート然とした佇まいが大好きだったんだけど、hさんのあの頭の足りなそうなブリッコ喋りも大好きなんだよ…。 なんだか好みが両極端だなぁ(笑) でもミュージシャンの偏差値をばらすという行為には「?」を感じてしまうものの、「偏差値」そのものを否定する気にはなれない。 アスリートには記録やオリンピックのメダルが、芸人には視聴率が、漫画家には発行部数が、ミュージシャンにはオリコンチャートがあるように、勉強には偏差値という評価基準があっていいと思うんだよ。 最近の小学校じゃ通信簿に成績をつけないところもあるらしいけど、学校は勉強しに行くところなんだから、勉強が出来てテストで高い点が取れたら、それはその子の才能なんだから素直に褒めてあげるべきだと思う。 そんでいい学校に入ったら、それに見合った就職先や人生がちょっと優遇されたっていいじゃない。 逆にみんなを一直線に並べる教育ってのは歪んでる気がしちゃうね。 スポーツだったら「努力」の部分なんてすっとばして「結果」だけで評価しても誰も文句いわないよね。 オリンピックで「ここにいるみんなが金メダルです!」とか言われたって、おもしろいか?それ。 他の価値基準に比べて「偏差値」が嫌われるのは、こうして何かにつけ(お勉強とは関係のない仕事をしてる人の所まで)人間の価値を測るモノサシとして引っぱり出されてくるせいだろうな。「ミュージシャン300人の100m走タイムをばらす!」とかにはならないもんな。(まあ仮にミュージシャンの100m走タイムがわかったとしてもh氏が決して上位に来る事はないと思うが/笑) 「はははーなんだあいつ大物ミュージシャンなんていって偏差値34のバカかよオイ」なんていうつまらん優越感に浸りたいだけのみみっちい使い方をしてしまう人が多いからね。それが問題なんだろうなぁ。 偏差値は用法・用量を守って正しくお使い下さいってところか。

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